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吉成社長が影響を受けた4人のビジネスマン(3)

「うちのコンピューターを売ってくれない?」

――自販機商法を学ばれたあと、いよいよサクセスを設立されたのですよね。

吉成 1978年の創業当時は「サクセスアチーブメント東京」という会社名で、SMI(サクセス・モチベーション・インスティテュート)というアメリカの会社の教材を取り扱っていました。

――教材の内容について教えてください。

吉成 簡単にいうと自己啓発の教材ですね。自己分析をして、人生目標を立て、それを達成するための行動計画を作るというもので、1セット20万円ほどもする高額商品でした。

――となると、一般の家庭に販売したブリタニカ百科事典や店舗を中心に営業したパールベンダーとは、営業先がまったく異なりますよね。

吉成 「人生に目的を持って成功したい」というビジネスマンに向けた教材でしたから、主な顧客は中小企業の社長や、生命保険の支部長・支店長といったセールスマネージャー、それからいろんな業界のトップセールスマンでした。一般のサラリーマンには響かない教材でした。

――大企業の中間管理職やヒラ社員ではなく、小さな組織でもトップにいる人を狙って営業されていたのですね。

吉成 はい。その時の顧客のひとりがソード電算機システムの社長の椎名堯慶さんでした。 当時はまだパソコンという言葉さえなく、コンピューターはとても高価なものでしたが、ソードはそんな時代に20万円台という格安のコンピューターを開発・販売していました。アップルが初期のマイコン「Apple I」を出した翌年にはソードは「M200」を出し、「日本のアップル」と異名を取っていたのです。じつは、サクセスはゲーム開発に踏み込むことになったのは、「君、うちのマイコンを売ってくれない?」という椎名さんの一言がきっかけでした。   ※アップルのマイコン「Apple I」は1976年発売、ソードのマイコン「M200」は1977年発売で、マイコンベンチャーとして知られたのもこのあたり。ただしソードのマイコン「SMP-80シリーズ」はアップルよりも早い1974年に発売。  

知識ゼロからのスタート

――コンピューターを取り扱ったことのない吉成社長に、椎名さんはなぜそのような依頼をしたのでしょうか?

吉成 ソードのマイコンは僕が売っていた教材と価格帯が近く、ソードがマイコンを売るターゲットとして想定していたのも、僕が得意とする中小企業だったのです。とはいえ、セールスマンが自分の売る商品のことを何も知らないのでは始まりませんから、依頼を受けるかどうかを決めるために、僕はまずコンピューターの勉強を始めることにしたわけです。

――そのあたりの顛末は、以前にもお話を伺いましたね。まったくコンピューターの知識がなかった吉成社長は、本を買い込んでコンピューター言語の勉強をされたのだとか。

吉成 はい。当時はコンピューター本体とベーシックの教本をセットで売るのが一般的でした。コンピューターは買ってすぐに使えるようなものではなく、使うためには付属の教本を読んで、自分の会社に必要なソフトを作らなければならなかったのです。

――あらゆるソフトが簡単に手に入る現在とは、まったく状況が異なっていたのですね。ハードルが高すぎです!

吉成 プログラムも、本屋に並んでいるのはベーシックよりもアセンブラのほうが殆どで、、知識ゼロの状態から勉強するのは本当に大変でした。勉強してみてわかったことは「自分はプログラマーには向いていない」ということでしたね(笑)。 いろいろと考え合わせて、ソードからの依頼は辞退することにしました。  

猛勉強で気づいたこと

――わざわざコンピューター言語の勉強までしたのに、契約に結びつかなかったのはもったいないような気もしますね。

吉成 たしかにその通りですが、あの時コンピューターの勉強をしたことが後にゲーム開発に踏み出すきっかけとなり、会社の方針を考える上でもとても役に立ちました。そう考えると、椎名さんとの出会いがなければ、サクセスの今はないとも言えます。

――サクセスは経営理念として「我々の使命は、ソフトウェア開発という文化の創造です」という一文を掲げていますが、ソフトウェア開発に狙いを定めたのも当時の勉強の成果なのでしょうか。

吉成 はい。苦労して勉強したおかげで、ソフトウェアを使えばあらゆる目的のツールを自由自在に作り出せるということに気づいたのです。そして、ゲーム業界で仕事をするのならソフトウェア開発の能力が強力な武器になる、と。ところが、サクセスがゲームの仕事を始めた頃は、まだその重要性に気づいていない人が多かったんです。

――そういった状況の中では、吉成社長が得た知識は大きなアドバンテージとなりますね。

吉成 当時はインベーダーの最盛期で、業界内では「インベーダーの次は何が流行るのか」「インベーダーのブームはいつまで続くか」といった議論がありました。「パチンコが戦前からずっと続いているように、インベーダーのブームはまだまだ続くだろう」と予想する人がいれば、「これもブームの一つだから、何れ終わる」という人もいました。 僕は、「ソフトを作り変えるだけでまた新しいゲームができる」と思っていたので、インベーダーはそのうち飽きられ、別のゲームが台頭するだろうということが容易に想像がつきました。まあ、具体的にどんなゲームが来るかまではさすがにわかりませんでしたけどね(笑)。

――椎名さんとはその後、お仕事でのお付き合いはあったのでしょうか。

吉成 これまでに名前を挙げた篠澤さんやショーン・デールさん、それからこの後お話しする北尾とは違い、椎名さんと一緒に仕事をしたことは一度もないんです。にもかかわらず彼のたった一言が僕のビジネスマン人生を大きく変えたことを考えると、出会いとは不思議なものだなと感じますね。  

これが当時20万円代で売られていたソード電算機システムのコンピュータ。これを売ることを検討したことが、その後のゲーム開発につながる。

 

吉成社長のつぶやき(41)

ソード電算機システムが日本のアップルと呼ばれていたんですね。 『椎名さんに会ったのが昭和53年の末だったんだけど、当時は週刊誌や経済誌に頻繁に記事が出てましたね。紛れもなく時代の寵児だった。彼の年齢も確か31か32歳で、年商も100億円は超えていた。ゲーム業界で既に大手だった当時のナムコが、ほぼ同じような規模だった』

吉成社長が影響を受けた4人のビジネスマン(4)

コイツの頭はどうなっているんだ!?

――吉成社長が影響を受けたという4人のうち、最後のお一人である北尾さんについて教えてください。

吉成 北尾はブリタニカ時代の後輩に当たり、お互いブリタニカを辞めた後も、20年前に彼が亡くなるまでずっと付き合いが続いていた親友の一人です。ブリタニカの後も営業マンとしての経歴が長かった僕とは違い、北尾は広告会社を立ち上げてSP(販売促進)に関わる仕事をしていました。

――北尾さんも経営者として活躍されていたのですね。

吉成 「経営者」というより「とんでもない企画マン」という印象のほうが強いですね。僕は営業マンとしていろんな商材を扱ってきましたが、新製品を売る時に彼に相談すると、その売り方や宣伝方法といったアイディアをその場でパパーッと、3つも4つも提示してくれるんですよ。ものすごい刺激を受けました。

――その商材のことを事前に知らせていたわけではないのですよね?

吉成 ええ。なんの予備知識もないのに何パターンも即答してみせるわけですから、最初の頃はなんという天才かと驚きました。実際、彼のIQは180以上ありましたしね。 ところが付き合いが長くなってくると、彼はアイディアを出す「技術」を持っていることに気づいたんです。どんなに目新しく見えるアイディアにも一定のパターンがあり、技術を修得すれば誰でも同じようにアイディアを出せるということに気づいたんです。

――北尾さんの思考パターンを読んで、分析したのですか?

吉成 自分ではそんな意識もありませんでした。文字通り「気づいた」という感覚です。  

ヒラメキではなく技術!

――吉成社長が気づいた「アイディアを出す技術」とは、どんなものだったのでしょうか。

吉成 たくさんありますが、まずは数学の「組み合わせ」を意識するとわかりやすいかと思います。

――ええと、「nCr」とか「nPr」とかのアレですか? かなりうろ覚えで自信がないのですが・・・。

吉成 そう難しく考えることはありません(笑)。どんな新しいアイディアも、言ってしまえば既存のものの組み合わせです。元になるアイディアが多ければ多いほど、組み合わせによって生まれる新しいアイディアの数も膨れ上がるということが理解できればいいのです。

――そう言われてみると理解できますが、実際に使えるアイディアを自在にひねり出すにはコツが要りそうですね。

吉成 それなら誰でも試せる簡単な方法があります。ひとつは「ブレーンストーミング法」です。人間の頭の中に入っている知恵というのは自分ひとりで考えついたものではなくて、家庭や学校で教えられたり、他人やメディアから得た情報がどんどん溜まっていったものですよね。そうやってアイディアとアイディアをエクスチェンジする過程の中で新しいものがポンと生まれたり、新しい組み合わせが生まれたりするわけです。企画を考えるときも、ひとりで机に向かってじっと考えていれば出てくるというものではありません。いろんな人と向き合ってアイディアを交換し合う中で、思いがけない新しいものが出てくることが多いんです。

――サクセスでも月に一度、アルコールを飲みながらブレストを行っているのでしたよね。

吉成 初期の頃からずっと続けていますが、非常に効果的な方法です。ただ、やり方が悪いとグダグダに終わってしまうこともあるようですから、メンバーの中に慣れた方がいるといいと思います。また、ブレストのイベントを利用してみるのもひとつの手かもしれません。かつて御茶ノ水にある専門学校で、毎月「百式会議」というブレストが開催されていました。参加者を4、5人ずつのチームに分け、その場でお題を出してアイディアを競わせるというコンテスト形式のイベントです。限られた時間のなか、即席のチームでアイディアを出すわけですが、毎回「いったいどこからその発想が出てくるの!?」と驚くような見事なアイディアが続出したものです。

――最近、あるITベンチャーの社長が「ブレストは時間の無駄なので排除した」と言っている記事を読んだのですが、無駄かどうかはやり方次第なのですね。

吉成 バカバカしい(笑)。その社長は企画の仕事をやったことがないのでしょう。人間と人間が接すると、化学反応が起こって、ひとりの頭では到底考えつかないようなアイディアが出てくるものです。  

チェックリストで効率的に発想する

――アイディアを出すための方法ですが、ブレストのほかにはどんなものがありますか?

吉成 もうひとつの簡単な方法は「チェックリスト法」ですね。これはアイディアをチェックリストの項目に従って掘り下げてゆく方法で、1つのアイディアから何パターンもの別案を派生させることができます。最初に項目を決めておきさえすればよく、漠然とこねくりまわすよりもずっと効率的です。

――リストにはどんな項目があるのでしょうか?

吉成 それは企画の趣旨や、企画者によってさまざまです。たとえば小説を書こうと思い立ってアイディアを1つ考えたとしましょう。そのアイディアを掘り下げるときにチェックリストを使うとすれば、その項目には「キャラクター」「テーマ」「舞台設定」などがあるはずです。「小説の舞台を日本から中国に変えたらどうなるだろう?」「時代を100年後にしてみたら?」「悪役を主人公にしてみたら?」「恋愛ではなく友情に焦点を当てるのはどうだろう?」「構成を短編連作にしてみたら?」といったように1つ1つの要素を置き換えて考えてゆくだけで、まったく新しい作品アイディアが無限に生まれます。

――自分でチェックリストの項目を考えること自体が、いい訓練になりそうですね。

吉成 ブレストと違い、この方法なら1人でも新しい企画を考えることができますから、企画を考えるのが苦手だという人は試してみるといいでしょう。ただし、最初のアイディアがゼロではどんな技術を使っても新しいアイディアが生み出されることはありません。普段から情報を集めること、勉強しておくことが、いいアイディアを出すための前提条件ですね。  

順列、組合せを計算するためだけに使っている関数電卓。プランナーには必須のツール。

 

吉成社長のつぶやき(42)

インタビュー中、愛用の関数計算機を見せてくれた吉成社長。いつでも組み合わせの数を計算できるようにしているのだという。 『ソフトバンクの孫さんがアメリカに留学していた時、一年間、毎日5分使って新しいビジネスモデルを考え、「アイデアバンク」と名付けたノートにメモしていったという話は有名だよね。ノートに記された250以上のアイディアの中から実現したのが、シャープに売って資金を調達したという音声翻訳ソフトの特許なんだけど、新しいビジネスモデルを365日考え出すなんてのは、「組み合わせ」という考え方がベースにあればなんでもないわけ。誰だってできる』

柔道から学んだこと(1)

サクセスをスタートしてから40年、そして柔道を始めてから55年。長く続けることでしか得られないものが、吉成社長にはたくさんあったという。何かにつまずいて仕事や人間関係を放り出してしまいたいとき、ほんのすこし「我慢」や「辛抱」という言葉を思い出してみてはどうだろうか。いつか、思いがけない人生の深みや喜びに触れることができるかもしれない。

柔道と自己啓発

――吉成社長は中学生のころに始めた柔道を今も続けているのですよね?

吉成 僕の唯一の趣味ですからね。柔道を始めてから55年になりますが、観戦よりも実戦のほうがずっとおもしろいので、週に4回の道場通いはやめられません。「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」って言うでしょう?

――55年もずっと踊り続けていられるというのはすごいです(笑)

吉成 好きじゃないととても続けられませんよね。ただ、僕は中学の部活動で柔道と出会うことができたけれど、残念ながら今は学校の部活動も低調なんですよ。日本で柔道教育の中核を担っているのは学校の部活動なのですが、最近では柔道部のない学校も増えているんです。

――主要な育成の場が減りつつあるということは、柔道をする人も減ってしまうのでは?

吉成 その通りです。海外では、たとえ柔道が盛んな国でも学校に柔道部なんてほとんどありませんが、町道場の数がとても多いんです。日本の柔道人口17万人に対して、フランスは56万人、ブラジルは200万人と言われています。この数字を支えているのが町道場や町の柔道クラブなんです。一方、日本では町道場の数がずいぶん減ってしまいました。

――昨年のリオデジャネイロオリンピックでのメダルラッシュが印象的だったので、日本のお家芸である柔道がそんなに低迷していたとは驚きました。

吉成 もともと柔道場は儲かるビジネスではありませんし、いま残っている町道場も、整骨院の先生が、趣味やボランティアで教えているケースが多いんです。それに、大学で柔道をやっている若者も、柔道部と柔道愛好会があったら、愛好会を選ぶ傾向にあります。強くなりたいというモチベーションはあっても、厳しい稽古という代償は払いたくないのでしょう。根性のない人が増えてきたのかな。結果はほしいけどそのための努力はしたくない、という日本人は増えていますから(笑)。

――柔道人口の維持のためには、気軽に楽しめる同好会の存在にも一定の意義はあると思いますが。

吉成 もちろんそういう選択も否定しません。だけど、せっかく柔道をするのに体験的に楽しむだけで時間を費やしてしまうのは、その人にとってもったいないという気もするんですよ。強くなるレベルもスピードも比較になりませんからね。やるからには高いレベルを望まないと。それに学ぶべきことは、僕は柔道を始めてからかれこれ55年になりますが、いまだに沢山ありますからね。  

一つのことを長く続ける

――技術を完全に習得したあとも、精神面ではまだまだ学ぶ余地が多いということでしょうか。

吉成 いいえ、柔道の技術を完全に習得することなどありえません。伝統的な武道なので完成形と思われがちですが、柔道は常に進歩し、新しい技も生まれ続けているのですから。

――えっ、そうなんですか? 個別の技をそれぞれが磨きあげることはあっても、技そのものはてっきり固定されているものだと思いこんでいました。

吉成 さきほど日本以外での柔道人口の話をしましたが、柔道が世界に広がったのは、明治末期から大正にかけて、講道館が世界各国に柔道家を派遣して普及に努めたからなんです。そのうちブラジルに伝わった柔道が固有の進化をして「ブラジリアン柔術」と呼ばれるようになったのですが、ブラジリアン柔術では寝技が特に進化したため、寝技の数がとんでもなく多いんですよ。もちろん日本や他の国でもそれぞれ進化していますから、柔道全体で、技の数やバリエーションがものすごく増えています。となれば学ぶべきことはいくらでもあり、どんなに研究や稽古を重ねても、全ての技を使えるようになるということはあり得ませんね。

――変化し続ける技術を継続的に学んでいくのは並大抵のことではないと思いますが、そういった努力のうえに、競技全体のレベルは上がっていくものなのですね。

吉成 一つのことを長く続けるためにはいくつかの要素が必要ですが、やはり「好きだ」という気持ちがいちばんの原動力でしょうね。でも、最近若い人たちを見ていると、そこまで長く続けている何かを持っている人って少ないように見えるんです。つまり、そこまで深く好きになることがない、ということではないかと思うんですよね。これはとても残念なことです。

――今の時代はスポーツに限らず習いごとの選択肢がたくさんありますし、専門的な情報にアクセスするのも簡単ですから、興味を持ったことを気の向くままに試してみたり、自分のペースで広く浅く楽しむ人が多いのかもしれません。

吉成 簡単に覚えて、簡単に楽しめて、簡単に他のことに移っていく・・・、そういう風潮がありますが、それは本当に楽しんでいると言えるのでしょうか。柔道を続けていて実感したのですが、一つのことをずっとやり続け、本質的な部分を追究することでしか得られないものが確実にあるんですよ。柔道はちょっとかじったくらいでは強くならないし進歩もしませんが、深く追究すればするほど強くなれます。どんなことにも、上っ面だけを舐めるような楽しみ方では到底得ることのできない面白みがあるんです。

――長く続けてみないと本当の面白さにはたどり着けないものなのですね。

吉成 仕事にしても同じことが言えます。サクセスはもうすぐ40周年を迎えますが、ソフトウェア開発を40年間続けたことによって得られたものは数多あります。ゲーム会社が潰れてしまう大きな理由に、その組織を構成するメンバーのスキルの低さ、情報量の不足がありますが、徹底して一つのことを追究してゆくという姿勢があればそんな事態に陥ることはありません。目先のことだけをクリアした気になって満足したり、次々と新しい事業に目移りしていては、この時代に生き残ることはできません。  

日本マスターズ柔道協会の副会長、千代田区スポーツセンターの指導員、高校柔道部のOB会会長などを兼任しているため、後進の指導や審判などにしょっちゅう駆り出されている。
日本マスターズ柔道協会の副会長、千代田区スポーツセンターの指導員、高校柔道部のOB会会長などを兼任しているため、後進の指導や審判などにしょっちゅう駆り出されている。

 

吉成社長のつぶやき(43)

柔道が海外に伝わってからたった100年足らずの間に世界各地でそれぞれの変化を遂げていたと聞いて驚いていると・・・。 『世界の国の数は196、国連加盟国は193、世界柔道連盟に加盟している国はその数よりも多い199。台湾を含め国として認められていない国にも柔道組織があるから。ここまで普及したのは、明治時代、嘉納治五郎という人物が、柔道を世界に広める、という強い意志を持って、世界に柔道家を派遣したこと。同じ時期に日露戦争で日本が勝利したことの影響が大きい。開国間もない明治の時代、日本の柔道を世界に広めるという、強い意志と壮大な理想を持った人物が存在したこと、アジアの小国が大国ロシアに勝利したこと、何れも奇跡に近い』

柔道から学んだこと(2)

継続こそ力なり

――続けることの大切さは、趣味でも仕事でも共通しているのですね。

吉成 何かを成し遂げたかったら、やっぱり続けることが一番大事だと思いますね。仕事でちょっとつまずいたり、新しいことに興味が移るたびに転職する若者をたくさん見てきましたが、次から次へと会社を移るせいでほとんど成果を残せていませんから。

――そのフットワークの軽さは、ある意味、若さの特権かもしれませんね(笑)。

吉成 若さがあるうちはまだいいのですが、そのうちどこにも就職できなくなってしまうぞ、と心配になりますね(笑)。さきほど、一つのことを長く続けられない人が多くなっているという話をしましたが、日本人から我慢強さが失われつつあるのかなという気がしています。離婚率だって、どんどん上がってきているでしょう?

――いまや3組に1組が離婚する時代ですからね。結婚するときには「一生添い遂げよう」という気持ちだったはずなのに、なんとも切ない数字です。

吉成 結婚したら終わりじゃなくて、夫婦や家族の関係というのは、そこから時間をかけて育てていくものなんですよね。ちゃんとコミュニケーションをとらなきゃいけないし、ときには我慢も必要です。離婚にはいろんなケースはあるんだろうけど、必要な我慢ができない自己中心的な人は、簡単に「はい、別れましょ」ということになっちゃう。

――我慢ひとつで円満な家庭をずっと維持することができるはずなのに、もったいないですね。一方で晩婚化も進んでますし、人生の伴侶を見極めることに慎重になっている人も多いのではないでしょうか。

吉成 いまは草食系が増えてるから恋愛自体に興味がないという人も多そうだけど、例えば今付き合っている彼女とか意中の相手がいるとして、「彼女よりもスタイルのいい子がいる」「彼女よりも美人がいる」「若い子がいる」なんていう表面的な基準で目移りしていたらいつまでたっても結婚なんかできませんよ(笑)。「たしかに美人じゃない、特別スタイルがいいわけじゃない、頭も決してよくはない。でも君じゃないとダメなんだ!」という存在を探さないとね。

――そういう相手なら、そうそう離婚の危機には陥らなさそうですね。

吉成 転職を重ねる人も「この条件はこっちの会社がいいけど、あの条件はあっちのほうがいい」と目移りするんじゃなくて、「でも自分はこの仕事がしたい」という意思で選ぶべきです。そうでないと一つの道でエキスパートになることはできませんからね。仕事にしても趣味にしても人間関係にしても、時間をかけて育ててゆくことで人生が豊かになるし、深みが増します。そのことを、若い人たちにはもっと知ってもらいたいですね。  

鍛えるべき筋肉は?

――趣味や仕事で何か一つのことを極めることができたら、別のジャンルでも成功できそうな気がしますが、吉成社長はどう思われますか?

吉成 世の中うまくできているもので、そう簡単ではないんですよ。例えばオリンピックのマラソン競技で金メダル取った選手が、同時に短距離で金メダルを取ることはないでしょう? それは、長距離と短距離では必要な筋肉が違うからです。魚で説明すると、ヒラメなんかの白身魚は瞬発力に優れていて、マグロとかの赤身魚は持久力に優れているのですが、マラソンで金メダルを取るためにはマグロみたいな肉をつけなきゃいけないし、短距離ならヒラメみたいな肉をつける必要があるんです。

――マラソンのために鍛え上げた筋肉は、短距離では役に立たないということですね。

吉成 金メダルを取れるほどの選手は、その分野に必要な要素を極限まで高めているわけですから、他のジャンルで同じように金メダルを取れるということはありえません。スポーツによってはその要素が多少かぶっているということはありますが、それでもトップレベルに至るだけでもかなり難しいはずです。だからサクセスもあれこれ手を出すことはせずに、ソフトウェア開発だけに専心してきたのです。

――大手のゲーム会社のなかには多角経営をしているところもありますが、サクセスはそういったことは考えていないと?

吉成 専門ジャンル以外のビジネスに手を出すことなど、ありえない話ですね(笑)。史上最高の投資家と言われるウォーレン・バフェットも自分が理解できない事業には投資しないという鉄則を守っているし、経営の神様と呼ばれた松下幸之助なんかは、多角経営なんかやっている経営者の気が知れないと述べています。

――成功するためには、一つの筋肉を徹底して鍛えあげるほうが効率がよいということですね。

吉成 筋肉の質を簡単に変えることはできませんからね。それに、筋肉はいちど鍛え上げればそれで終わりというわけではありません。時代や環境の変化に適応していくためには筋肉を維持するだけでなく、筋肉の組織自体を少しずつ、常に変えていく努力が必要です。そうじゃないと時代に取り残されてしまいますからね。それはどんな会社でも同じことです。

――瞬く間にトレンドが変化するゲーム業界では、特に重要かもしれませんね。

吉成 その通りです。実際、ガラケー全盛の時代にゲーム開発で上場したゲーム会社は何十社とありますが、そのほとんどがスマホの時代に生き残ることができず廃業していますから。時代の変化に対応するというのはどんな大手でも難しいことなんです。例えば、かつて主要エネルギーが石炭から石油に変わったとき、大手の炭鉱会社で石油のメジャーになった会社なんてありませんよね。また、大きな鉄道会社が航空会社を作って成功したという事例もありません。スポーツでもビジネスでも、一つの分野で大成功を収めた人や組織というのは、成功に必要な要素を備えているものです。ところがジャンルや環境が変わったときに、その要素がそのまま生かせるケースは極めて少ないのです。  

ヒラメとマグロの筋肉は、こんなに違う。

 

吉成社長のつぶやき(44)

吉成社長に好きな女性のタイプを聞いてみたところ、 『ないです、どんなタイプでもOK。でも、自分のことをタイプだ、という女性のタイプは一目で分かる。芸能人でいうと、西田ひかる、夏目三久、松たか子、桐谷美玲とか・・・、まだまだいるけど名前が分からない』

「会社」とのつきあいかた

終身雇用制度が崩壊した今の日本で、働く人はどういう心構えでいるべきなのか?吉成社長は、これまでも繰り返してきたように「自分の能力を磨き続けることの大切さ」を強く説いてくれた。いつ何時でも会社を切り捨てられるくらいの覚悟で準備をしておくこと、それが必ず自分自身を救うという。  

仕事を優先するな

――吉成社長は趣味である柔道にかなり本格的に取り組んでいますが、社員の方にもスポーツを推奨されているんですよね。

吉成 うちの社員はいくら助成金を出してもスポーツをやりたがらないんですけどね(笑)。まあ、スポーツをするかしないかは置いておくとして、僕はプライベートを犠牲にするような働き方には反対です。会社によっては、健康まで犠牲するような仕事があるようですが、健康を犠牲にする価値ある仕事なんてあり得ません。

――社長ご自身も会社の立ち上げ当初に残業や泊まり込みを繰り返した経験があり、その反省もあるのだと、以前伺いました。

吉成 ゲーム開発を始めた頃、月に12回徹夜をした経験がありますね。徹夜仕事の一番の問題点は、徹夜をするとなぜか仕事をやったような気になっちゃうんですよ。集中力を高めてやれる時間なんて限られてるわけですから実際にはすごく効率は悪いのに、夜明けにブラインドを指でそっとめくり上げては「俺は、何て頑張ってるんだ」なんて勘違いするんです(笑)。

――頭ではわかっていても、仕事が忙しい時期はプライベートを優先することに罪悪感を覚えてしまうという人も多いと思います。

吉成 仕事だけに生きがいを求めては駄目です。僕は千代田区スポーツセンターで週2回は柔道の指導員として自分の稽古と指導をやっているのですが、社会人の中には仕事が忙しいという理由で休みがちな人もいるんです。そういう人には「仕事を優先しないで、柔道を優先しろ」って言ってます(笑)。

――なかなか厳しい指導ですね(笑)

吉成 無茶なことを要求しているように聞こえるかもしれませんが、貯金と同じように考えればいいだけです。「余ったお金を貯金しよう」なんて思っていたらいつまで経ってもお金なんか貯まりませが、給料から自動的に積み立てていくように設定しておけば、否応なく貯まります。時間の管理も同じで、趣味の時間をあらかじめ確保しておいて、残りの時間で仕事をすればいいだけの話です。

――定期積み立てくらいの気持ちでいれば、なんとか趣味の時間を死守できそうですね(笑)

吉成 僕がそこまで言うのは、長時間の残業は効率が悪いという理由だけではないのです。じつは僕の弟は、昔、とある有名デパートに就職していたのですが、20年ほど前、景気が悪くなってリストラの嵐が吹き荒れたんですよ。そのとき行われていたリストラの実態を弟の口からいろいろ聞いたのですが、会社が社員を一方的に解雇するわけにはいかないから、辞めさせたい社員をかつての部下の下に配属したり、家族のある社員に転勤を命じたり、店長経験者に受付の案内係をさせたり、とそれは酷いものでした。

――悪質なリストラ策がメディアで取りざたされた時期がありましたが、実際にそういう状況に追い込まれたり、目にするだけでもショックでしょうね。

吉成 身も心も捧げ尽くして働いた会社にそんな状況に追い込まれ、首を切られるという話を聞いたとき、自分の人生すべてを会社に委ねるな、と強く思いましたね。  

本当の意味での実力を備えよう

――終身雇用を期待できる会社が少なくなったいま、誰にとっても他人事ではありませんね。

吉成 どんな会社でも常に優秀な人間を欲しがっていますから、辞めたときに即、あちこちから声がかかるような存在になれば安泰です。うちの社員たちには、会社に対していつでも「じゃあ辞めます」とケツをまくれるようにしておけといつも言ってるんですよ。何かあったとき、唯一身を守れるのは自分の能力だけですからね。

――会社に忠誠を誓って「いつまでも置いてください」というよりも、「いつ辞めてもいいんですよ?」と言えるくらいの実力を備えた社員でいてほしいと?

吉成 むしろそういう社員ばかりならサクセスも安泰です(笑)。そのレベルに至るのはなかなか大変ですけどね。 日本はずっとデフレが続いていて、需要に対して供給が多すぎる状態です。世の中にこれだけゲームコンテンツが溢れかえっているなかで、周りと比べて「特別に劣っているわけじゃない」という程度の実力ではまったく役に立ちません。ゲームも並のゲームとかそこそこ良くできたゲームが売れないのと同じです。

――ユーザー側からすれば選択肢が多くて嬉しいけれど、コンテンツビジネスをする側からするととても厳しい時代ですね。

吉成 プログラマー、デザイナー、プランナー、職種は何であっても、優秀な人材は引く手あまたです。我々の業界では、新しい技術は次々と出てきますから、常に勉強を欠かさず、必要な情報をインプットしていくことが大切です。インプットの習慣がなかったり、勉強が嫌いという人は、そもそもクリエイティブな仕事には向いていません。

――あっという間に時代遅れになってしまいますからね。

吉成 クリエイティブな仕事に限らず、どんな職業にも情報収集はとても重要です。「情報化社会」という言葉はもう何十年も前から使われていますが、昔と比べ、情報の重要性はとてつもなく大きくなっていますからね。いまや時代は「タイム・イズ・マネー」ではなく「インフォメーション・イズ・マネー」。リッチさとは持っているお金の量ではなく、「いかに情報を持っているか」そして「どれほど情報を使うスキルがあるか」ということで決まります。それに気がついている人はまだまだ少ないように思いますが、その意識なくして成功はありえません。

――若者に限らず、仕事を続けてゆくうえで肝に銘じたほうがよさそうですね。  

ここが日本で一番社会人柔道家が集う場所。ここに指導員として週2回通っている。

 

吉成社長のつぶやき(45)

最近、オーストラリアとニュージーランドに旅行に行ったという吉成社長は、その豊かな暮らしぶりにとても驚いたという。 『オーストラリアって主産業は農業と鉱業くらいなのに、中国からの移民で人口がどんどん増えて、一人当たりのGDPはなんと日本の1.5倍。平均賃金は600万円くらいだけど、残業という概念がないので実質的には700万円という。しかも社会福祉がしっかりしてるから貯金の習慣もないらしい。向こうで出会った日本人居住者は、みんな口をそろえて満足している、と言ってたなあ。え、俺? 正直、住みたいとは思わない。だって飯はまずいし、夕方5時になるとお店がぜんぶ閉まっちゃうんだもん(笑)』

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