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吉成社長が影響を受けた4人のビジネスマン(4)

コイツの頭はどうなっているんだ!?

――吉成社長が影響を受けたという4人のうち、最後のお一人である北尾さんについて教えてください。

吉成 北尾はブリタニカ時代の後輩に当たり、お互いブリタニカを辞めた後も、20年前に彼が亡くなるまでずっと付き合いが続いていた親友の一人です。ブリタニカの後も営業マンとしての経歴が長かった僕とは違い、北尾は広告会社を立ち上げてSP(販売促進)に関わる仕事をしていました。

 

――北尾さんも経営者として活躍されていたのですね。

吉成 「経営者」というより「とんでもない企画マン」という印象のほうが強いですね。僕は営業マンとしていろんな商材を扱ってきましたが、新製品を売る時に彼に相談すると、その売り方や宣伝方法といったアイディアをその場でパパーッと、3つも4つも提示してくれるんですよ。ものすごい刺激を受けました。

 

――その商材のことを事前に知らせていたわけではないのですよね?

吉成 ええ。なんの予備知識もないのに何パターンも即答してみせるわけですから、最初の頃はなんという天才かと驚きました。実際、彼のIQは180以上ありましたしね。

ところが付き合いが長くなってくると、彼はアイディアを出す「技術」を持っていることに気づいたんです。どんなに目新しく見えるアイディアにも一定のパターンがあり、技術を修得すれば誰でも同じようにアイディアを出せるということに気づいたんです。

 

――北尾さんの思考パターンを読んで、分析したのですか?

吉成 自分ではそんな意識もありませんでした。文字通り「気づいた」という感覚です。

 

ヒラメキではなく技術!

――吉成社長が気づいた「アイディアを出す技術」とは、どんなものだったのでしょうか。

吉成 たくさんありますが、まずは数学の「組み合わせ」を意識するとわかりやすいかと思います。

 

――ええと、「nCr」とか「nPr」とかのアレですか? かなりうろ覚えで自信がないのですが・・・。

吉成 そう難しく考えることはありません(笑)。どんな新しいアイディアも、言ってしまえば既存のものの組み合わせです。元になるアイディアが多ければ多いほど、組み合わせによって生まれる新しいアイディアの数も膨れ上がるということが理解できればいいのです。

 

――そう言われてみると理解できますが、実際に使えるアイディアを自在にひねり出すにはコツが要りそうですね。

吉成 それなら誰でも試せる簡単な方法があります。ひとつは「ブレーンストーミング法」です。人間の頭の中に入っている知恵というのは自分ひとりで考えついたものではなくて、家庭や学校で教えられたり、他人やメディアから得た情報がどんどん溜まっていったものですよね。そうやってアイディアとアイディアをエクスチェンジする過程の中で新しいものがポンと生まれたり、新しい組み合わせが生まれたりするわけです。企画を考えるときも、ひとりで机に向かってじっと考えていれば出てくるというものではありません。いろんな人と向き合ってアイディアを交換し合う中で、思いがけない新しいものが出てくることが多いんです。

 

――サクセスでも月に一度、アルコールを飲みながらブレストを行っているのでしたよね。

吉成 初期の頃からずっと続けていますが、非常に効果的な方法です。ただ、やり方が悪いとグダグダに終わってしまうこともあるようですから、メンバーの中に慣れた方がいるといいと思います。また、ブレストのイベントを利用してみるのもひとつの手かもしれません。かつて御茶ノ水にある専門学校で、毎月「百式会議」というブレストが開催されていました。参加者を4、5人ずつのチームに分け、その場でお題を出してアイディアを競わせるというコンテスト形式のイベントです。限られた時間のなか、即席のチームでアイディアを出すわけですが、毎回「いったいどこからその発想が出てくるの!?」と驚くような見事なアイディアが続出したものです。

 

――最近、あるITベンチャーの社長が「ブレストは時間の無駄なので排除した」と言っている記事を読んだのですが、無駄かどうかはやり方次第なのですね。

吉成 バカバカしい(笑)。その社長は企画の仕事をやったことがないのでしょう。人間と人間が接すると、化学反応が起こって、ひとりの頭では到底考えつかないようなアイディアが出てくるものです。

 

チェックリストで効率的に発想する

――アイディアを出すための方法ですが、ブレストのほかにはどんなものがありますか?

吉成 もうひとつの簡単な方法は「チェックリスト法」ですね。これはアイディアをチェックリストの項目に従って掘り下げてゆく方法で、1つのアイディアから何パターンもの別案を派生させることができます。最初に項目を決めておきさえすればよく、漠然とこねくりまわすよりもずっと効率的です。

 

――リストにはどんな項目があるのでしょうか?

吉成 それは企画の趣旨や、企画者によってさまざまです。たとえば小説を書こうと思い立ってアイディアを1つ考えたとしましょう。そのアイディアを掘り下げるときにチェックリストを使うとすれば、その項目には「キャラクター」「テーマ」「舞台設定」などがあるはずです。「小説の舞台を日本から中国に変えたらどうなるだろう?」「時代を100年後にしてみたら?」「悪役を主人公にしてみたら?」「恋愛ではなく友情に焦点を当てるのはどうだろう?」「構成を短編連作にしてみたら?」といったように1つ1つの要素を置き換えて考えてゆくだけで、まったく新しい作品アイディアが無限に生まれます。

 

――自分でチェックリストの項目を考えること自体が、いい訓練になりそうですね。

吉成 ブレストと違い、この方法なら1人でも新しい企画を考えることができますから、企画を考えるのが苦手だという人は試してみるといいでしょう。ただし、最初のアイディアがゼロではどんな技術を使っても新しいアイディアが生み出されることはありません。普段から情報を集めること、勉強しておくことが、いいアイディアを出すための前提条件ですね。

 

順列、組合せを計算するためだけに使っている関数電卓。プランナーには必須のツール。

 

吉成社長のつぶやき(42)

インタビュー中、愛用の関数計算機を見せてくれた吉成社長。いつでも組み合わせの数を計算できるようにしているのだという。

『ソフトバンクの孫さんがアメリカに留学していた時、一年間、毎日5分使って新しいビジネスモデルを考え、「アイデアバンク」と名付けたノートにメモしていったという話は有名だよね。ノートに記された250以上のアイディアの中から実現したのが、シャープに売って資金を調達したという音声翻訳ソフトの特許なんだけど、新しいビジネスモデルを365日考え出すなんてのは、「組み合わせ」という考え方がベースにあればなんでもないわけ。誰だってできる』

吉成社長が影響を受けた4人のビジネスマン(3)

「うちのコンピューターを売ってくれない?」

――自販機商法を学ばれたあと、いよいよサクセスを設立されたのですよね。

吉成 1978年の創業当時は「サクセスアチーブメント東京」という会社名で、SMI(サクセス・モチベーション・インスティテュート)というアメリカの会社の教材を取り扱っていました。

 

――教材の内容について教えてください。

吉成 簡単にいうと自己啓発の教材ですね。自己分析をして、人生目標を立て、それを達成するための行動計画を作るというもので、1セット20万円ほどもする高額商品でした。

 

――となると、一般の家庭に販売したブリタニカ百科事典や店舗を中心に営業したパールベンダーとは、営業先がまったく異なりますよね。

吉成 「人生に目的を持って成功したい」というビジネスマンに向けた教材でしたから、主な顧客は中小企業の社長や、生命保険の支部長・支店長といったセールスマネージャー、それからいろんな業界のトップセールスマンでした。一般のサラリーマンには響かない教材でした。

 

――大企業の中間管理職やヒラ社員ではなく、小さな組織でもトップにいる人を狙って営業されていたのですね。

吉成 はい。その時の顧客のひとりがソード電算機システムの社長の椎名堯慶さんでした。 当時はまだパソコンという言葉さえなく、コンピューターはとても高価なものでしたが、ソードはそんな時代に20万円台という格安のコンピューターを開発・販売していました。アップルが初期のマイコン「Apple I」を出した翌年にはソードは「M200」を出し、「日本のアップル」と異名を取っていたのです。じつは、サクセスはゲーム開発に踏み込むことになったのは、「君、うちのマイコンを売ってくれない?」という椎名さんの一言がきっかけでした。

 

※アップルのマイコン「Apple I」は1976年発売、ソードのマイコン「M200」は1977年発売で、マイコンベンチャーとして知られたのもこのあたり。ただしソードのマイコン「SMP-80シリーズ」はアップルよりも早い1974年に発売。

 

知識ゼロからのスタート

――コンピューターを取り扱ったことのない吉成社長に、椎名さんはなぜそのような依頼をしたのでしょうか?

吉成 ソードのマイコンは僕が売っていた教材と価格帯が近く、ソードがマイコンを売るターゲットとして想定していたのも、僕が得意とする中小企業だったのです。とはいえ、セールスマンが自分の売る商品のことを何も知らないのでは始まりませんから、依頼を受けるかどうかを決めるために、僕はまずコンピューターの勉強を始めることにしたわけです。

 

――そのあたりの顛末は、以前にもお話を伺いましたね。まったくコンピューターの知識がなかった吉成社長は、本を買い込んでコンピューター言語の勉強をされたのだとか。

吉成 はい。当時はコンピューター本体とベーシックの教本をセットで売るのが一般的でした。コンピューターは買ってすぐに使えるようなものではなく、使うためには付属の教本を読んで、自分の会社に必要なソフトを作らなければならなかったのです。

 

――あらゆるソフトが簡単に手に入る現在とは、まったく状況が異なっていたのですね。ハードルが高すぎです!

吉成 プログラムも、本屋に並んでいるのはベーシックよりもアセンブラのほうが殆どで、、知識ゼロの状態から勉強するのは本当に大変でした。勉強してみてわかったことは「自分はプログラマーには向いていない」ということでしたね(笑)。 いろいろと考え合わせて、ソードからの依頼は辞退することにしました。

 

猛勉強で気づいたこと

――わざわざコンピューター言語の勉強までしたのに、契約に結びつかなかったのはもったいないような気もしますね。

吉成 たしかにその通りですが、あの時コンピューターの勉強をしたことが後にゲーム開発に踏み出すきっかけとなり、会社の方針を考える上でもとても役に立ちました。そう考えると、椎名さんとの出会いがなければ、サクセスの今はないとも言えます。

 

――サクセスは経営理念として「我々の使命は、ソフトウェア開発という文化の創造です」という一文を掲げていますが、ソフトウェア開発に狙いを定めたのも当時の勉強の成果なのでしょうか。

吉成 はい。苦労して勉強したおかげで、ソフトウェアを使えばあらゆる目的のツールを自由自在に作り出せるということに気づいたのです。そして、ゲーム業界で仕事をするのならソフトウェア開発の能力が強力な武器になる、と。ところが、サクセスがゲームの仕事を始めた頃は、まだその重要性に気づいていない人が多かったんです。

 

――そういった状況の中では、吉成社長が得た知識は大きなアドバンテージとなりますね。

吉成 当時はインベーダーの最盛期で、業界内では「インベーダーの次は何が流行るのか」「インベーダーのブームはいつまで続くか」といった議論がありました。「パチンコが戦前からずっと続いているように、インベーダーのブームはまだまだ続くだろう」と予想する人がいれば、「これもブームの一つだから、何れ終わる」という人もいました。

僕は、「ソフトを作り変えるだけでまた新しいゲームができる」と思っていたので、インベーダーはそのうち飽きられ、別のゲームが台頭するだろうということが容易に想像がつきました。まあ、具体的にどんなゲームが来るかまではさすがにわかりませんでしたけどね(笑)。

 

――椎名さんとはその後、お仕事でのお付き合いはあったのでしょうか。

吉成 これまでに名前を挙げた篠澤さんやショーン・デールさん、それからこの後お話しする北尾とは違い、椎名さんと一緒に仕事をしたことは一度もないんです。にもかかわらず彼のたった一言が僕のビジネスマン人生を大きく変えたことを考えると、出会いとは不思議なものだなと感じますね。

 

これが当時20万円代で売られていたソード電算機システムのコンピュータ。これを売ることを検討したことが、その後のゲーム開発につながる。

 

吉成社長のつぶやき(41)

ソード電算機システムが日本のアップルと呼ばれていたんですね。

『椎名さんに会ったのが昭和53年の末だったんだけど、当時は週刊誌や経済誌に頻繁に記事が出てましたね。紛れもなく時代の寵児だった。彼の年齢も確か31か32歳で、年商も100億円は超えていた。ゲーム業界で既に大手だった当時のナムコが、ほぼ同じような規模だった』

吉成社長が影響を受けた4人のビジネスマン(2)

20代にして一攫千金を果たした男

――ブリタニカを退社されてからも、営業のお仕事自体は続けられたのですよね。

吉成 幾つかの会社に在籍し、多くのビジネスマンを見てきましたが、なかでも特に印象に残っているのはショーン・デールという男です。こんな名前ですが、彼は日本育ちの純日本人です(笑)。彼はアメリカで流行したものを日本に持ち込んで売るという商売をしており、ビジネスのためにアメリカと日本の二重国籍を持ってました。

 

――どんな商材を扱っていたのですか?

吉成 彼が最初に当てたのは、戦前にアメリカの飲食店などで大流行したパンチボードと呼ばれる紙のゲームでした。簡単に言うと、紙で作ったくじ引です。A4サイズのボール紙を重ねて板状にしたものに1000から2000ほどの小さな穴を開けて、その穴の中に「当たり」か「ハズレ」と印刷された小さな紙切れを詰め込んだものです。お客さんは1回ごとに100円の料金を支払って好きな場所から紙切れを取り出すんです。「当たり」が出ると景品(賞金)がもらえるといった単純なものですが、このパンチボードが日本でも大流行したことがあるんです。日本に持ち込んだその本人から直接聞いた話ですが、末端価格を1万円から2万円に設定して、50万個は売り捌いたそうです。

 

――当たりの金額を大きく設定すれば、それだけギャンブル性が高まりますね。

吉成 そんなわけで、アメリカでは州によっては非合法になって禁止されていました。彼は、その商品をどうすれば合法化できるかを考え、思いついたのが、小さな紙切れに「占い」を印刷したんです。つまり、お客様には「占い」を買ってもらい、「当たり」が出るのは景品という扱いにした訳です。その商品だけで、20歳の時に始めて24歳で止めるまでに28億円稼いだそうです。

 

――ものすごく商才があったのですね。

吉成 一種の天才でしたね。英語がペラペラで外国に頻繁に行っていたので、海外の情報に関してはとても早かったんです。今も昔も情報格差の生まれるところには商機が生まれますから、海外で成功しているビジネスを見つけていち早く日本に持ってくるということに関してはやはり才能があったのでしょう。ただ、いま思えば、商才もさることながら運も大きかったのではないでしょうか。その後のビジネスでは大失敗もしていますから(笑)。ともあれ、僕が入社したときにはすでにパンチボードからは手を引き、別の商材を扱っていました。代表的なのは「パールベンダー」という、真珠の自動販売機です。

 

売りたいのは真珠、それとも・・・

――真珠を売るための専用自販機があったのですか?

吉成 真珠と言ってもクズ真珠です。とはいえ、パンチボードを売っていた彼のことですから、もちろん真珠を売りたかったわけではありません。その頃西ドイツで合法ギャンブル機として認められていた「ロタミント」というスロットマシンに似た機械があるのですが、彼は真珠自動販売機にロタミントを組み合わせることで、景品の出る自販機に作り変えたんです。

 

――ロタミントをそのまま使うと日本では法に触れてしまうので、真珠の自動販売機という体裁を整えたということですか?

吉成 その通りです。真珠自動販売機に硬貨を投入するとコロコロっと小さな真珠が出てくるのですが、それと同時に「ロタミント」が動き出し、当たればジャラジャラと硬貨が吐き出されてくるという仕組みでした。「ロタミント」はあくまでもおまけ扱いです。

 

――隠れ蓑になっているような、そうでもないような(笑)。

吉成 現金を真珠の景品とすること自体は違法ではありませんし、その金額は「商品の価格の20倍まで」といったように、具体的に制限されています。ところがそれらの規定を定めた「景品に関する規定」は公正取引委員会(現在は消費者庁)の管轄で、当時は違反しても罰則がなかったんです。一方で「賭博法」は刑法が適用されるため、違反すれば賭博罪という罰則が課せられます。こういった不思議なグレーゾーンは今も昔もたくさん存在してるんですよね。こうして「パールベンダー」はとりたてて大きな問題になることもなく、しばらくの間全国に何百台と設置されました。

 

「セールス」と「レンタル」

――「パンチボード」に引き続き、「パールベンダー」も成功したということですね。

吉成 ビジネス的にはそうですね。ただ、僕がショーン・デールのもとでいちばん勉強になったのは、法のグレーゾーンの攻め方ではありません。自販機を売るのではなく、レンタルして中身だけを売るというやり方です。僕はブリタニカの教材を始め、それまでは商材を「セールス」するという仕事をしていたため、自販機をレンタルすることで長期的な利益を生みだすというビジネスモデルはとても新鮮でした。

 

――確かに、自販機そのものを売り買いするというケースは聞いたことがありません。

吉成 例えばうちの会社に置いてある飲み物の自販機だって、契約した業者に場所を提供するだけです。中身の補充やメンテナンスもすべて業者が行い、売り上げの一部がうちにバックされるという仕組みです。これはゲームセンターに置いてもらうゲームマシンも同様で、ゲームをプレイしてもらった売り上げをお店と折半します。メーカーがゲーム機を売るのはオペレーターという運営業者で、オペレーターは買った機械をお店に設置させてもらって売上をお店とでシェアする訳です。

 

――この仕組みなら、設置させてあげる側にはまったくリスクがありませんものね。

吉成 ゲームマシンや自販機のビジネスでは、機械を売って収益を上げることよりも、如何に売上の上がる場所を確保するかのほうが重要な仕事で、これを専門にする人を「ロケーター」と呼ぶんです。

 

――あまり馴染みがないので「セールスマン」としてひとくくりに捉えがちですが、実際の仕事の内容には大きな違いがあるのですね。

吉成 ロケーションを確保するためにお客さんと交渉するわけですから、ロケーターのやっていることも一種の営業です。ところが商談をまとめる確率は「100万円の自販機を買ってください」と交渉するよりも、「置いてください」と交渉するほうがはるかに高いわけです。しかも、1回の商談から得られる利益は、売買が成立した場合よりも設置場所を1箇所確保したほうが大きいケースがほとんどです。

 

自販機商法のメリット

――リスクを負うのは、機械を貸し出しているオペレーター側だけということですね。

吉成 ところがオペレーター側のリスクも、じつはそう大きなものではないんです。ロケーションさえ間違えなければ、継続的に収益が得られますし、仮に良くない場所に機械を設置してしまった場合、簡単に撤去して他の設置先に移すことが可能です。これが、例えばレストランやコンビニを開業した後、ロケーションを変更したいと思っても、そう簡単にはできません。

 

――いいことづくめじゃないですか!

吉成 「ロケーションを自由に変えられること」「セールスに比べて商談をまとめるのが容易であること」、これが自販機商法の大きなメリットです。ショーン・デールと一緒だったのは数年でしたが、彼の元でこのビジネスモデルを学べたということは、その後ゲーム業界で仕事をしていく上でとても役に立ちました。

 

――ところで、ショーン・デールさんが大失敗されたビジネスというのは、いったいどういった物だったのでしょうか?

吉成 やはりアメリカの商品でフリーザーとオーブンが一緒になった「ピザマティック」という商品があったのですが、それを日本で売ろうとして失敗しました。フリーザーに入った冷凍ピザを下のオーブンに入れれば簡単にピザが作れるというシンプルなマシンで、彼はそれを何百台と仕入れました。ところが当時、日本ではピザがそれほど浸透しておらず、仕入れたマシンをすべて在庫として抱えることになってしまったんです。彼はパンチボードとパールベンダーの成功で10軒以上の家を持っており、ハワイとロサンゼルスには別荘があり、飛行機もヨットも所有しているという絵に描いたようなお金持ちでしたが、ピザマティックでの失敗が原因で、財産の大半をパーにしてしまいました。

 

――成功談も失敗談も、なんというか豪快ですね。

吉成 とにかく強烈な個性の持ち主でしたね。

 

この商品で4年で28億円稼いだという。写真は東急ハンズでレトロゲームとして販売していた戦前のもの。

 

吉成社長のつぶやき(40)

自販機商法の利点はもうひとつあるという。

『セールスマンってのは人間だから、体調が悪くなったりやる気を失ったりしたら商品を売れなくなる。だけど自販機はそれがないからね。電気さえ与えておけば文句も言わずにコンスタントに売り続けてくれるのがいいよね(笑)』

 

吉成社長が影響を受けた4人のビジネスマン(1)

ビジネスマンとしての吉成社長を形作ったのは、多くの「出会い」だったという。
その中でも特に大きな影響を受けたというのが、これから紹介する4人のビジネスマンだ。
天才的な頭脳、商機に対する嗅覚、他人を鼓舞する力・・・。
彼らの突出した才能を目の当たりにした吉成社長は、その力を少しずつ自分の中に吸収して会社経営に活かしてきた。

 

いちばん最初の上司は、とんでもない人だった!

――吉成社長が一人のビジネスマンとして、そして経営者として影響を受けた方についてお話を聞かせてください。

吉成 「この人がいなかったら今の自分はいないな」と思う人が、4人います。性格も経歴もさまざまですが、彼らからは本当に大きな影響を受けました。その一人が、大学入試後にアルバイトとして入った会社で出会った篠澤達男さんです。僕は、英語教材を取り扱うブリタニカの一部門であるウェブスターという事業部で完全歩合制のセールスマンとして働き始めました。そのときの上司が篠澤さんです。彼は、その後ブリタニカの営業部門でトップにまで登りつめた人で、非常に優秀なセールスマン、そしてセールスマネージャーでした。

 

――ブリタニカでの営業のお仕事は、たしか4年間ほど続けられたのでしたよね。

吉成 そうです。僕は一浪して大学に入ったのですが、家庭の事情もあって入学前からアルバイトを始めました。それがブリタニカというアメリカの会社で、そこにはすべての新人セールスマンに短期間で研修を施すプログラムがあって、新人セールスマンは全員が「スタンダードトーク」という営業トークを叩き込まれます。

外資系の営業には大抵こうしたマニュアルが存在していて、「ごめんください」から始まって、商品の紹介の仕方から購入を渋られたときの切り返しまで、訪問先でのあらゆる状況を想定した対応方法が網羅されていました。丸暗記さえしておけばどんなド新人だろうがそこそこに結果が出せるというとても優れたものでしたから、初めての営業でも何とかなりました。

 

――1セット数十万円もするような高額商品を十代の若者が売りまくったというのですから、マニュアルというのは非常に効果的なのですね。

吉成 マニュアルの出来・不出来は売り上げを左右する重要なファクターだとは思います。ただ、同じマニュアルを使っていても、ほとんど商品が売れずにすぐに辞めてしまうセールスマンは大勢いましたから、万能というわけでもないんです。僕はブリタニカにいた時代、トップセールスマンであった篠澤さんの姿を見て、また自分自身の体験をもって気づいたことがいくつかあります。そのひとつが「セールスとは確率である」ということです。

 

たくさんの人に会えば、それだけたくさんの商品が売れる

――その「確率」というのは?

吉成 簡単に言うと「たくさんの人に会えば、売れる数もそれに比例する」ということです。もちろんセールスマンにはある程度の販売テクニックが必要ではありますが、じつのところ「1件の成約までに何人のお客さんと会ったか」という数字は、腕のいいセールスマンもそうでないセールスマンの間にそこまで大きな差はないんですよ。

 

――えっ、そうなんですか!?

吉成 意外に思いますよね(笑)。売れるセールスマンとそうでないセールスマンの違いがどこで生まれるかというと至極簡単で、単純に会っているお客さんの総数が違うんです。たくさんの商品を売るセールスマンは、それだけたくさんのお客さんに会っているということなんですよ。これはどんな業界にも概ね同じことが言えます。たとえばトヨタ、日産、ホンダなどの自動車のシェアは、そのまま各自動車メーカーの営業所の数や抱えているセールスマンの数に言い換えることができます。事務機器や生命保険の営業でも同様で、如何にセールスマンを多くもつか、如何にに多くの見込み客に会うかが、業績を左右するいちばんのキーになるわけです。

 

――なるほど、単純明快ですね。商品を売るには会って会って会いまくるしかない、と。

吉成 そうです。ただし、会った上で話ができなければ意味がありません。訪問したときに門前払いをされずに商談にこぎつけられるかどうかはセールスマン次第。結果を出せないセールスマンは、せっかく会えても話を聞いてもらえずに終わっちゃうんです。

 

――話を聞いてもらえるかどうかは、さすがに確率というわけにはいかないのですね。

吉成 だからこそセールスマンはお客さんにアプローチする方法を考えるんです。たとえば「ごめんください」と直接訪問する方法もあれば、まず手紙を書いてから電話をかけるという人もいるし、直に電話をかけたり、誰かの紹介をもらったりと、やり方はさまざまです。

どんな方法でアプローチをしようかと知恵を絞るのが、セールスマンのいちばんの仕事なんです。僕は身近に篠澤さんというトップセールスマンがいたので、非常に参考になりましたね。

 

サクセスが「多作」にこだわるワケ

――吉成社長はブリタニカを辞められたあとも幾つかの会社で営業マンとしての実績を積まれていますが、これは「売れる商品の数はお客さんと会えた回数に比例する」という法則に気づいたことで営業の醍醐味にハマったのでしょうか?

吉成 セールスの確率に気づいたことはセールスの仕事を続ける上で役には立ちましたが、会社の経営に関わるようになってからも支えになっています。サクセスは創業時からずっと多作にこだわっていますが、これは「たくさん作れば、そのぶん当たるゲームも多くなるはず」と考えたからです。

 

――そういう理由があったのですね。

吉成 ブリタニカ時代、僕は確率のほかにももう一つ、仕事の成果を上げるうえで無視できない要素に気づきました。それはモチベーションです。

 

――いわゆる「根性論」ということでしょうか?

吉成 ちょっと違います。 僕がアルバイト入社するよりずっと前のことになりますが、ブリタニカのセースルマンが殺人を犯してニュースになったことがあるんです。当然ブリタニカの商品がまったく売れなくなってしまったのですが、そんなときにもかかわらず、相変わらず高い売り上げをキープしていたセールスマンがいました。それが篠澤さんです。

 

――吉成社長の上司だった方ですね。

吉成 彼はセールスマネージャーとして数百人の部下を率いる立場にいましたが、僕は4年くらい在籍していたため、直接声をかけられたり教えを受ける機会も多かったんです。

ある時、ブリタニカのあまりにも強引な営業手法が日本消費者連盟から訴えられ、かつての殺人事件のときと同じように全国でブリタニカの商品が売れなくなりました。この時僕は、彼の凄さを実際に目の当たりにすることになったのです。

 

――1970年の、いわゆる「ブリタニカ商法」と呼ばれて社会問題となっていたときのことですね。

吉成 そうです。連日のように新聞やテレビで報道されて悪評が広まっていましたから、新規の契約は取れず、成約後のキャンセルが相次いでいました。このときにも篠澤さんが率いていた事務所だけが、日本で唯一、相変わらず売り上げをキープしていたんですよ。

 

モチベーションが結果を左右する

――詐欺商法として訴えられているさなかに従来通りの売り上げを達成し続けるとは、にわかには信じがたいのですが・・・。

吉成 そりゃそうですよね(笑)。なにか特別なカラクリがあるのではと思われそうですが、そういったことは何もありません。僕のいた事務所ではセールスマンのモチベーションが高かっただけなんです。
「いくら熱心に営業したところで、お客さんからはどうせネガティブな反応しか返ってこないだろう」と思って営業すれば、お客さんからはその通りの反応が返ってくるものです。ところが不思議なことに「世間でどんな悪評が立っていようが関係ない」というポジティブな意識で営業すると、ちゃんとポジティブな手応えが返ってくるんですよ。そして、部下のモチベーションを上げてポジティブな意識を持たせることにかけて、篠澤さんの能力はずば抜けていました。

 

――なるほど。たしかに根性論とは少し違いますね。

吉成 篠澤さんは商品にまったく興味のない相手だろうが、経済的に余裕のない相手だろうが、「喜んで買いたい」という気にさせてしまう凄腕のセールスマンでした。人を元気付ける話術、いわゆるペップトークの達人だったんです。どんなに意気消沈していた部下でも、彼の話を30分、1時間と聞いているうちにみるみるやる気が漲って、張り切って次の営業に飛び出していくほどでした。

 

――人を乗せる天才ですね。

吉成 他人をモチベートするのがセールスマネージャーの仕事であり、セールスマンの仕事なのですから、その意味では超一流でした。社会人としてのスタート時に篠澤さんと出会ったことで、仕事の成果はその仕事に関わる人間のモチベーション次第で大きく変わるものなのだということを強く実感しました。

 

――全国でまったく売れない状況の中で唯一結果を出したということが、それを端的に証明していますね。

吉成 あのときの経験から、自分や他人の気持ちをポジティブに保つことの重要さを肌感覚で学びましたね。

 

ブリタニカのセールスマニュアル。これを1から10までそのまま実行した。

 

吉成社長のつぶやき(39)

本当に訪問した数がそのまま営業の成果につながるのですか?

『レストランを開業しようとすると、人通りの多い場所を探すでしょ。山奥や田舎の畑の真ん中にお店を開いてもお客は来ないから。新宿や渋谷の駅前に店を出すことができれば、料理の味が多少悪くても、接客マナーが今ひとつでも売上は上がるよね。営業は足の使い方ひとつで、田舎でお店を出しているようにもなるし、人通りの多い場所にお店を出しているようにもなるから』