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携帯ゲームとスマホアプリ(1)

携帯電話が日本で本格的に普及し始めたのは、90年代半ばごろのこと。日本の携帯は、音声通話以外の多くの機能を持つフィーチャーフォン――いわゆるガラパゴス携帯として進化し、着メロ、インターネットサービス、Eメール、カメラ、3Gサービス等々、「世界初」の機能が満載だった。キャリアごと、また機種ごとにさまざまなゲームやサービスが搭載された携帯の分野でも、サクセスは新たな市場を切り開いてゆく。

ガラケー時代到来

――サクセスが携帯ゲーム市場に参入したのは2000年。Vodafoneからのスタートだったのですね。

吉成 その頃の国内携帯キャリアはdocomo、Vodafone(現softbank)、KDDI(現au)の3つでした。いまは誰でも自由にスマホのゲームを作って、ブラウザゲームでもアプリゲームでも提供することができますが、当時は携帯でサービスを提供するためには、各キャリアと交渉して公式メニューを取る必要があったんです。 サクセスがVodafoneからサービスを開始したのはたまたまで、当時ベンチャーキャピタルに勤めていた僕の知り合いが紹介してくれたからでした。

――携帯電話が普及しはじめて間もない頃から、携帯でゲームをするのはユーザーにとって一般的な使い方だったのでしょうか。

吉成 はい。ゲームはもちろん、あらゆることに携帯を使うというのが当時の携帯の流れです。 携帯用ゲームを最初にスタートしたのは確かバンダイですが、当時バンダイが携帯で大成功している、ということが業界で噂になったんです。それがきっかけでいろんな会社が携帯ビジネスに参入したため、ガラケーの時代はコンテンツビジネスでIPO(新規公開株)した会社が何十社とありましたよ。ただ、今はほとんど残っていませんけどね。

――2000年にVodafoneから12タイトルを出されていますが、『ふきだしめ-る』や『冠婚葬祭プラス』『秘書検定2級ブラス』など、ゲーム以外のものも多いのですね。

吉成 キャリアの公式コンテンツですから、まずは作りたい企画をキャリアに提出して、許諾が下りたら作れるというシステムなんです。ほかの会社と企画がかぶらないようキャリアのほうでコントロールしますから、ゲームに限らず、それはもうたくさんの企画を出しました。とはいえVodafoneには初期に参入しましたから、けっこう色んなことができましたよ。  

ガラケーでできること、できないこと

――とはいえ、どんなに高性能のガラケーであってもゲーム専用機ではありませんから、画面も小さいし、使えるメモリにも制限がありますよね。それまで作ってきたゲームとは考え方を変える必要があったのではないですか?

吉成 そんなことはありません。どんな機種にも固有の制約があり、その制約の中で作るのが開発の基本ですからね。うちはアーケードから始まって、コンシューマー、携帯、オンラインゲームと色々やってきたけれど、ベースとなっている考え方はすべて同じなんです。

――ガラケーのコンテンツをスタートさせてからは年間の開発タイトル数が飛躍的に増え、2005年には、携帯コンテンツだけで100以上もの作品を世に出していますね。たいへんな数ですが、このなかで思い出に残っているものはありますか?

吉成 2003年にサービスをスタートさせた『UNO』という作品はとくに思い出深いですね。このゲームはVodafone、docomo、KDDIのすべてのキャリアで展開し、ユーザーはキャリアの壁を越えて通信対戦することができたのです。

――当時はキャリアをまたいでのショートメールの送受信ができなかったり、Eメールの文字化けや通信速度の制限などもあり、さまざまな面で使い勝手が悪かったように記憶しています。そんな中では画期的なゲームだったのではないでしょうか。

吉成 携帯でこうしたクロスプラットフォームを実現したのはサクセスが初めてでした。うちは早くからオンンラインゲームを手がけていたので、そこで培ったサーバー構築や通信の技術を使えばそう難しいことではなかったんです。

――オンラインゲームの技術を知り尽くしていたからこそ可能だったのですね。

吉成 技術の有無よりも、クロスプラットフォームが実現できることに「気づいた」ことが大きいですね。オンラインゲームの技術を持っていたのはうちだけではなかったのに、他社がどこもやろうとしなかったのは、やはり着眼点の問題なのだろうと思います。

――ちなみに、『UNO』の評判はいかがでしたか?

吉成 残念ながら、そこそこでした(笑)。  

第5回01『UNO通信対戦版』画面写真
携帯初のクロスプラットフォームを実現した『UNO』。

 

吉成社長のつぶやき(17)

ガラケー時代、公式メニューをめぐる仲介ビジネスも盛り上がったという。 『当時は、いろんな会社が公式メニューに参入しようとしたんだけど、参入障壁が高くて上手くいかなかった。だから、キャリアのOBが、「自分のツテで公式メニューを取らせてあげる」というビジネスが流行った』

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