こんなのアリ!? 仰天事件簿(1)
38年間で1300タイトル以上という膨大な作品を作り上げてきたサクセス。その作品が自社オリジナル開発であろうが受注開発であろうが、またプラットフォームが何であろうが、吉成社長にとっては作品を生み出すという喜びに違いなどないという。しかし物作りには、喜びだけではなく、苦労もまたつきものである。ときには一方的なルールに振り回され、また時に勘違いから大失敗をしでかし――。サクセスが直面したトラブル例をいくつかご紹介したい。
企画書が、たったの2枚!?
――「SIMPLE1500」シリーズのうち、他社に依頼した作品にはサクセスがビジュアルやサウンドの素材をすべて提供したものが多いということでしたが、素材づくりはサクセスの得意分野なのでしょうか?
吉成 こうした素材は外部の会社に発注することもありますが、基本的には社内で作ります。かつて、アスキーからの依頼で『RPGツクール』のコンシューマー版を受託開発していたのですが、これなんかは普通のゲームの何倍もの素材が必要だったので、ずいぶん大変だったことを覚えています。
――『RPGツクール』は今も続いている人気コンテンツですが、ゲームプログラムの知識がなくても誰でも簡単にゲームを作れるというコンセプトがうけて、コンシューマー版が出た頃は大きな話題になりましたよね。
吉成 ずいぶん盛り上がり、当時、当社の窓口だったログインソフトの編集長が社長賞をとっていたはずです。 この「ツクール」シリーズでは、ユーザー自身が自分好みのゲームを作れるよう、豊富なツールを用意する必要がありました。うちは1995年に発売したスーパーファミコン版「RPGツクール」を皮切りに、『音楽ツクール かなでーる』『サウンドノベルツクール』『3Dシューティングツクール』・・・と、シリーズを次々と受託開発したのですが、当時は社内にプログラマーの手が足りなかったので、『RPGツクール』では、空想科学というゲーム開発会社にプログラムをお願いし、社内ではひたすらグラフィックとサウンドを作りましたね。
――『ツクール』シリーズはパソコン版からスタートしているので、ある程度は元となる素材があったのでしょうか?
吉成 移植というよりはゼロから作ったようなものでしたね。いちばん最初にA4用紙2、3枚の企画書を渡されて、「これで見積もりを作ってください」とお願いされたんです(笑)。
変わりゆく仕様
――肝心の企画書がその枚数では、情報が足りなさそうな気がしますが・・・。
吉成 今では考えられませんが、当時はそれほど稀なケースでもありませんでした。パブリッシャーのほうも経験のある人が少なかったんです。『ツクール』の場合、企画書には具体的な内容は記されておらず、こちらからいろんなアイデアを出して、取捨選択をしてもらうといったやり方で進めました。ゲームは、ゼロから作るものです。会社によって考え方も違えば予算も違う、手順も決め方もすべて違うのですから、ソフトメーカーはそれらに柔軟に対応して作り上げる能力が必要なのです。
――制作側からすると『ツクール』はどんなシリーズだったのでしょうか。
吉成 「泥縄式」というのがこのシリーズの特徴でしたね(笑)。というのも、作っている途中で「あんなことがやりたい」「こんなこともやりたい」とクライアントからの希望が増え、仕様がどんどん変わっていくので、そのつど泥縄式に対応していきましたから。開発の現場では仕様が途中で変わるということ自体はざらにありますが、いま思えばアスキーの体質も大きかったんじゃないかな。当時のアスキーは、昼間に人がいないような会社でしたから。
――とても手間隙のかかったシリーズなのですね。ところで、『ツクール』シリーズのひとつ『かなでーる』は、吉成社長が自ら音楽を勉強して作ったそうですが、これまたずいぶん大変だったのでは?
吉成 『かなでーる』はシリーズの中ではちょっと変わり種なんですよ。もともとサクセスのオリジナル商品として開発していたものを、「『ツクール』シリーズにちょうどマッチしているのでラインナップに加えてほしい」という依頼を受けてシリーズに組み込んだので。 もともと『かなでーる』を企画したのは、誰でも自由に音楽を作れるソフトを作りたかったからなのですが、僕自身には音楽の知識がほとんどありませんでした。だから、本屋さんに行って音楽関連の本を何冊か買って、音楽理論をいろはから勉強しながら作りました。 因みに、この時も社内にラインが足りなかったので、今では格闘技ゲームの『ギルティギア』や『ブレイブルー』で有名なアークシステムワークスさんにプログラムをお願いしました。
――現在は『ツクール』シリーズには携わっていないのですか?
吉成 クライアントとの間でいくつかトラブルがあったんです。『ツクール』シリーズの制作は我が社がいっさいがっさいをコントロールしており、外注先の会社名もすべてオープンにしていました。ところがログインソフトは、それらの会社に直接連絡を取って、別の仕事を発注するようになってしまったんです。 現在進行形で依頼していた仕事先に次々と新しい依頼をぶつけられれば、作業が滞るのは当たり前ですよね。結果、うちで進めていた仕事の幾つかに遅延が生じて、最終的に発売時期を逸してしまう、という最悪の事態にまで発展してしまいました。
――信頼が仇になるという、残念な結果ですね・・・。
吉成 ほかにも、ログインソフトの担当者達が、当時アスキーのメンバーで作った新会社にごっそり抜けて移るなど、いろいろな出来事が重なり、うちは『RPGツクール3』を最後にシリーズから撤退することになったんです。
吉成社長のつぶやき(13)
2016年9月23日
1 件のコメント
毎回興味深く読ませていただいております。
RPGツクール3は発売当時、かなり遊ばせていただいてましたが、
サクセスが開発に関わっていた事はこの記事を読んではじめて知りました。
その後、RPGツクール4が出た時に「3とは大分感覚が違うな」と当時思っていましたが、そうした事情があったのですね。