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コンシューマーへの挑戦(3)

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移植に次ぐ、移植!

――80年代後半から90年代前半は、第4世代と称されるコンシューマーゲーム機が次々と発売された時代でした。そんな中、『上海』シリーズの4作目になる『上海 万里の長城』は、アーケードを含む9種類もの機種に移植されていますね。どういった体制で製作されたのですか?

吉成 グラフィックは、オリジナルツールの『GE』があったので、すべての機種を、二人のデザイナーが描いているんです。あとは、PC-FX、プレイステーション、セガサターン、スーパーファミコン、アーケードといった機種ごとに担当のプログラマーがいて、それぞれが移植の作業を進めていきました。

 

――移植にあたり、プラットフォームごとに難易度の差はありましたか?

吉成 技術的にはさほど違いはありませんが、ライブラリーが揃っているプレイステーションはやりやすかったですね。

 

ソニーの戦略

――当時数々のプラットフォームが登場した中で、プレイステーションが他を圧倒したのは、具体的にどういったことが理由ですか?

吉成 ソニーはまず、高かった開発機材の値段をぐんと安くしました。百数十万円という、当時としては画期的な値段です。ほかにも、ライブラリが揃っていたり、発注ロット数の最小単位を引き下げるなど、サードパーティーが抱えていたさまざまな不満を解消することで参入障壁を一気に引き下げたんです。

 

――ソニーはなぜそういった手を打つことができたのでしょうか。

吉成 プレイステーションは、もともと任天堂とソニーが「一緒にコンシューマー機を作ろう」と手を組んで、途中まで開発が進んでいたんですよ。ところが任天堂とソニーの間で意見の違いが出てきて、途中でご破算になってしまい、ソニーが引き継ぐことになったという経緯があります。

任天堂のやり方を見てたから、ソニーはその問題点を解消したうえでスタートをきることができたわけですね。

 

――そんな経緯があったとは!

吉成 開発当時、ソニーの内部では「企業イメージを損なう」という理由でゲーム事業への進出に反対する社員が多かった、と聞いています。しかし、一旦は合意して共同開発が始まった。開発が進むにつれ、おそらく、任天堂は怖くなったんじゃないでしょうか。ソニーのような大企業に本格的に参入されると、自社の牙城を揺るがしかねませんからね。

第2回03プレイステーション開発機材(のひとつ)『デバッギングステーション DTL-H1102』

プレイステーション開発機材『デバッギングステーション』。

 

吉成社長のつぶやき(7)

ゲーム業界に参入する前、サクセスはどんなビジネスをしていたのだろう?

『会社を興したのは29歳のときだけど、最初は、経営者向けの教材を取り扱う代理店「サクセスアチーブメント東京」としてスタートしたんです。教材は赤いカバンに入っていて、1セット20万円もする商品だった。これを売り歩いているときにいろんな経営者と知り合ったんだけど、その中の一人が、当時「日本のアップル」と言われたソード電算機システムの社長で、「吉成さん、うちのマイコンを売ってくれないか」って頼まれたんです。それが、ゲーム業界に参入するきっかけのひとつになりましたね』

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