コンシューマーへの挑戦(1)
社員2人から始まったサクセスも、アーケードゲームでいくつかの成功を重ね、ビデオ店頭機のジャンルでは大きなシェアを獲得するまでになっていた。 そして1991年、サクセスで手がけた初のコンシューマーゲームが世に出る。コンシューマーゲーム機としては圧倒的なシェアを誇っていたファミコンの後を追うように、各社がさまざまなハードを売り出した時代だった。
増えてゆくタイトル数
――1995年あたりから年間発売タイトルが増え始め、99年には54タイトル、2000年には142タイトルにもなっていますね。
吉成 ゲームのタイトル数が増えている大きな理由は、アーケード、パソコンゲーム、コンシューマーゲームと開発する機種が増えたことにあります。 サクセスは1988年からはパソコン用ソフトを開発したり、1991年以降はゲームの他機種への移植などを始めました。アーケードとパソコンでは解像度も発色数もデータの持ち方も違うので、グラフィックデータのコンバート作業は大変なんですね。そこで作ったのが、オリジナルのグラフィックツール『GE』です。
――具体的にはどういった機能を持っていたのでしょう?
吉成 当時のアーケードゲーム基板、家庭用ゲーム機、パソコンは機種によってすべて解像度も違えば、発色数も違っていたんですね。例えば、アーケード基板の解像度は、横256ドットまたは320ドット、縦240ドットが標準的で、家庭用ゲーム機は横256ドット、縦224ドット、といった具合です。また、使える色数も、カラーデータの持ち方も違っていたものを、『GE』という1つのツールですべての機種に対応したグラフィックデータを作れるようにしました。
――発色数やカラーデータの持ち方というのは、アーケードとはそんなに違うものなのですか?
吉成 アーケード基板はグラフィックデータを、8×8ドットもしくは16×16ドットのキャラクター単位で管理するんです。色数もキャラクター単位で8色とか16色使えるのですが、その8色とか16色もキャラクター単位で選べるんです。でも、パソコンではもっと自由に、ドット単位で色を変えることができますよね。それを、当時発売されていたマルチスキャンモニターを使って、自由に解像度を変えたり、使える色もハードの性能に合わせて自由に設定できるようにしたツールを作ったんです。
初期のグラフィックツールとは
――『GE』が、サクセスが初めて作ったツールなのでしょうか?
吉成 最初の開発で、グラフィックツールの必要性を痛感して、最初に作ったツールは、ライトペンを使ったものでした。最近は見ることはないですが、当時はライトペンという、ペンの形をしたポインティングデバイスがあったんです。ブラウン管にライトペンを接触させると指定した色を入力できて、絵を描けるというものです。2作目の『オセロ』では、そのライトペンを使ってドット絵を描きました。 さらに、マルチスキャンモニターという、解像度を自由に変えられるモニターを組み合わせて、解像度や発色できる色数を自由に指定できるツールへと進化させていきました。それが『GE』です。
――『GE』は、1990年に一般発売もされているのですね。
吉成 はい。残念ながらあまり売れませんでした(笑)。当時の他社の開発責任者の頭の中に、ゲームの移植という発想が無かったことが大きな理由でした。しかし、当社の開発タイトルが1300以上を数えたのは、この『GE』の存在が大きいと思います。
吉成社長のつぶやき(5)
ゲーム移植の作業効率を飛躍的に伸ばした『GE』だが、商品としてはあまり売れなかったという。画期的なツールなのに、なぜだろうと考えていると。 『当時は、一部の人にしか良さを分かってもらえなかった。そもそも、仕事を合理化しようなんていう発想のあるサラリーマンは多くはないから。また、当時の社内にも、『GE』をもっともっと良くしよう、バージョンアップしようというモチベーションのある社員が一人もいなかった。いたら、今頃フォトショップやイラストレーターなんて使っていなかった』
2016年7月29日