「だったら、自分で作ればいい」(4)
初めてのヒット作
――『オセロ』以降も次々とゲームを製作していきますが、吉成社長がはじめて大きな手応えを感じた作品は何ですか?
吉成 『PLAY BALL』から4年後の1987年に出した『とんとん』という※店頭機でしょうか。当時から『ジャンケンマン』とか『新幹線ゲーム』といった10円玉で遊べる子供向けのゲーム機が人気でしたが、テレビモニターを使った初めての店頭機で、パンダのキャラを使ったメダルゲームです。アーケードの筐体を作っていた太陽自動機と協力して、うちが基板とソフトウェアの両方を開発しました。確か1500台は売れました。しばらくは競業がいない状況だったので、次々と子供向けゲームを作り、ひとつの新しい市場を作りました。それを見て大手メーカーが次々と参入し始め、それが後の『ムシキング』に繋がったわけです。 ※遊園地、玩具店、駄菓子屋等の店頭に置く子供向けゲーム機。
画期的な開発手法
もうひとつが同じ年に開発した『上海』で、元々はアメリカで大ヒットしたMacintosh用ゲームをアーケード用にしたもので、同じ絵柄の麻雀牌を2枚ずつ選び取ってゆくというパズルゲームです。 当時PC98用に移植されたものが社内で人気になって、昼休みが終わってもゲームを止めない社員が増えたんですね。「休み時間は終わった。仕事だ仕事」と注意を何度もするようになって気づいたんです。「ここまで皆が熱中するなら、もしかしてアーケード用に移植したら売れるかもしれない」と。それで、当時の『上海』のパブリッシャーに問い合わせたところ、すでにサン電子という会社が権利を取得していることがわかりました。 残念と諦めていたところに、サン電子さんから「開発ができますか?」と問い合わせがあったんです。その条件が、「基板とソフト両方の開発を半年でお願いできますか?」だったんですね。普通、ゲームの開発は完成した基板があって、その上でソフト開発を進める訳ですが、その順番でやったら3カ月で基板を作り、残りの3カ月でソフトを作らないといけません。できるわけないですよね。先方の担当者もゲーム開発の経験がなかったから、そんな要求を平気で言えたんでしょうね。 しかし、「できます」と答えてしまったんです。答えた後で、どうするかを考えました。そこで考えた方法は、※PC98と同じような基板を作り、同時にソフト開発をPC98で平行で進めると、それぞれの作業に半年使える。この方法で基板とソフトを併せて半年で納品をすることができました。 ※1982年にNECから発売された当時最も普及していたパソコン。
――この年には6本のゲームを発売されていますね。専門的な技能を持ったスタッフの確保には苦労されたのではありませんか?
吉成 この頃は、プログラマーは主に学生のアルバイトを雇っていました。まだまだプログラマーの絶対数が少なくて、正社員を雇うにはべらぼうな給料が必要だったんです。それに当時の開発は、アセンブラというコンピューター言語を使うのですが、アセンブラのプログラマーの絶対数が少なかったんです。そこで慶応、中央大、電通大といった大学の理工系の学生でアセンブラができる学生だけを集めました。当時のアルバイトで集めた学生は、その後大学の先生や一流企業のエンジニアとして活躍しています。
――サクセスが作ったアーケードゲームで、最大のヒット作となったタイトルを教えてください。
吉成 1991年に発売したシューティングゲーム『コットン』は、サクセスの代表作といえるゲームになりました。 『コットン』の特徴は横スクロールの画面ですが、シューティングゲームといえばSF要素の多かった当時には珍しいコミカルな世界観とキャラクターで人気を集めました。アーケードでもコンシューマーでも、たくさんのシリーズ作品を出しました。
――赤字でスタートした創業当時から考えると、これらの成功は感無量だったのではないでしょうか?
吉成 もちろん嬉しかったといえば嬉しかったけれど、この仕事の本当の楽しさっていうのは商業的な成功とはまた別にあるように思います。 ゲーム作りって楽しいんですよ。クリエイティブな仕事って、すごく楽しい。だから、大変なことはたくさんあるけれど、この仕事をやめようと思ったことは一度もないですね。
――アーケードゲームの基板やソフトを作ってきたサクセスが、初めてコンシューマーゲームを出すのが1992年。次回はこのときのお話を聞かせてください。
吉成社長のつぶやき(4)
サクセスがコンシューマーに進出したのは、創業から10年目。ここがひとつの節目でしょうか、と訊ねてみると・・・。 『そういえば、どこまでが初期か中期か、なんてことは考えたことがないなあ。でも、サクセス創業後、何度も失敗を繰り返して、年商1億円を越えるのに10年もかかってるんです。超がつくほど成長の遅い会社だったことだけは確かですね』
2016年7月22日