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コンシューマーへの挑戦(2)

初のコンシューマーゲーム

――1991年にサクセス初のコンシューマーゲーム『レミングス』(スーパーファミコン)が発売されますね。このときの経緯を教えてください。 吉成 『レミングス』は、サン電子からの受託開発という形でした。もともと海外のパソコンゲームで、その版権を取得したサン電子がスーパーファミコンへの移植を決めたのです。   ――コンシューマー機への初の移植ですが、技術的な難しさはありませんでしたか? 吉成 『レミングス』はパソコンゲームでしたから、グラフィックデータはビットマップというフォーマットで管理されています。ところがファミコンやスーパーファミコンは、アーケードと同じくキャラクター単位でデータを管理するというハードなので、普通なら簡単には移植できません。それを、プログラムで仮想的にビットマップと同じような画面表示を実現したわけです。  

スーパーファミコン参入

――サクセスが『PLAY BALL』を出した1983年、ファミコンが発売されます。巨大なマーケットを持つファミコンのソフトを作ろうとは思われなかったのですか? 吉成 ファミコンが発売された当時は、サードパーティーの参入障壁がものすごく高かったんですよ。もともと付き合いのあるディストリビューターでないと開発機材を貸し出してもらえないし、開発機材を自前で買おうにも値段が高かった。さらに、任天堂からの技術資料の提供もないという話でした。   ――開発機材の値段もさることながら、技術資料がないとソフトメーカーはお手上げなのではないでしょうか? 吉成 「作りたいなら解析して作ってください。解析する能力がないような会社だったら、そもそもゲームなんか作れません」という姿勢ですよね。そんなわけで、うちのようにコネのない会社は参入しづらかった。   ――スーパーファミコンの時代になり、参入しやすくなったのでしょうか? 吉成 いいえ、相変わらず参入障壁は高かったです。 でも、じつはアーケードゲームを作るほうがよっぽど難しいんですけどね。だって、そもそも技術資料が用意されているわけでもないし、場合によってはソフトを載せるためのハードの設計もしないといけないのですから(笑)。
第2回02『レミングス』画面写真
サクセス初のコンシューマーゲームは、スーパーファミコン版『レミングス』。
 

吉成社長のつぶやき(6)

「最近の若い人はまったく本を読まない」と嘆く吉成社長。ご自身はどんな本を読んでいるかが気になって、ちょっと聞いてみた。 『好きな作家は、小説だと藤沢周平・司馬遼太郎・池井戸潤・百田尚樹・室積光、ビジネス書だと長谷川慶太郎・大前研一・ドラッカー、それ以外だと立花隆・佐藤優、今は亡くなった糸川英夫や邱永漢といったところですかね。ゲームを含めてメディアに関わる人は、新聞や本を読むことは必須の条件、といのが僕の考えです。だから本を読まない社員は、入社時はまだしも、数年経っても読まない社員は会社を辞めるように言ってますけど、誰も辞めてくれない(笑い)』

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